環境文明21は、環境負荷の少ない持続可能な環境文明社会の構築を目指す環境NPOです。
  

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「自主行動計画」の破たん

東京電力の原子力発電所の事故収拾は、未だに見通しが立たず、日々綱渡りの状態が続いているなかで、夏場を控えて大幅な節電は待ったなしとなってきた。この7月1日から、政府は電気事業法に基づき、大口の電力使用者に対して『制限令』を発動するという。これは第一次石油危機以来の37年ぶりの権力行使であるという。

多くの人は、この報道に接しても、あまり違和感がないかもしれないが、私のように長いこと温暖化対策に携り、しかも、深刻さを増す温暖化の脅威を実感しており、今すぐにでも温暖化対策税や排出量取引制度を含む強力な温暖化対策を導入すべきであると主張している人間からすると複雑な思いである。

というのも、排出量取引制度を導入しようと思えば、政府は、CO2など温室効果ガスを多量に排出する大口の企業に上限(キャップ)を掛けることになる。そのアイディアは20年近く、絶えず論争されてきた。特に2007年ごろ、東京電力や新日鐵をはじめとする経団連の首脳部たちは、このアイディアに対して猛烈に反対し、企業の自主性に任せるいわゆる自主行動計画を実施した。

キャップに対する反対の理由が揮っている。曰く「排出枠の設定という政府の統制により、企業活動の上限を決めるのは、経済効率の観点という自由主義経済の原則を損なう。」また曰く、「省エネに熱心に取り組んできた企業とそうでない企業がある中で、公平な排出枠など設定できない」などの議論を、マスメディアなどを通じて執拗に主張していた。

このキャップを設ける(政府が数量を定めて規制する)ことへの反対は、鉄鋼や電力業界などの首脳部が繰り返し主張したことであるが、民主党政権になってもまだ効力が残っているのか(そう言えば、民主党の中には、これら大企業の労働組合出身議員が少なくない)、排出量取引については、民主党は早くもギブアップしたのも同然だ。菅首相は、自然エネルギーの固定買取制度には、大変ご執心のようだが、環境税や排出量取引には全く言及していない。

その電力会社が、原子炉の停止や温暖化を反映しているに違いない夏の酷暑に対応するには電力が足りなくなるとなって、公平、不公平の議論も、自由主義経済の原則に悖るか悖らざるかの議論もなく、電気事業法によって、大口なら15%の制限を掛ける原因を自ら作ったのは、誠に皮肉なことである。

私の知る限り、節電に関し経団連は、政府の統制は嫌なので自主行動計画をしようではないか、とは表明していない。それほど今回の原発事故の影響が強烈であったということだろうが、しかし、温暖化を背景に非常に大きな台風がこの夏にも東京湾や大阪湾を襲い、甚大な被害が出ないとも限らない。その時に政府は、何をするのだろうか。今回と同様、自主行動計画などとは言っていられず、電力使用制限ならぬCO2排出制限(キャップ)が検討され、導入されることになるのだろうか。

やはり、温暖化対策としての自主行動計画は破綻すると言わざるを得ないであろう。
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by JAES21 | 2011-06-27 16:09 | 加藤三郎が斬る
国民投票を目指す~徹底した議論を~

脱原発の動きが盛んである。一昨日も関連するグループの集会に参加したが、即時停止から徐々に、という考えの人まで、幅広い参加であった。私自身は、勿論脱原発だが、即時停止は現実問題として難しいだろうと思っている。老朽化が進んだものから、10年くらいをかけて順次停止していく、その間に再生可能エネルギーを増やしていく、という考えだ。

しかし、政府はどちらとも決めかねて、ちぐはぐな発言に終始しているが、その間にも、従来通りの密室で、経産省主導の原発立て直し政策が進んでいる。「本当に懲りない、無責任な人たち」である。
こうしたやり方は、何としても阻止しなければならないが、その一方で、私自身は、原発を今後どうするかについて、将来世代も含む全ての国民の暮らしと生命に関わる問題なのだから、国民投票を行うべきと考えている。
実際、そうしたことを目指して活動する人たちも幾つか見られる。

ただし、事前の充分な国民的議論を経ての国民投票が必要だと思う。
そのためには、例えば、投票前の1年間をかけて、全国の地域、職場で、そして国会でも、そうした学習と議論の場を設ける。あるいは、学校でのエネルギー教育の中で、今まで避けてきた議論を行う。あるいは、学識者やNPOなどある程度の専門性を持った人たちの公開討論会を各地で開催する、などである。

日本を持続的な社会にしていくには、一体どの程度のエネルギーが必要なのか?省エネでどれくらい減らせるのか?再生可能エネルギーでどの程度賄えるのか?原発がなくなった場合の社会・経済、暮らし面でのメリット、デメリットは? など、多面的な議論を経て、国民投票を行うのが望ましいと考えている。

そんな時間はない、と言われるかもしれない。
しかし、日本の将来に関わる問題である。1年くらいかけて、みんなで真剣に議論し、みんなで真剣に決める。それくらいの時間は必要だと思う。
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by JAES21 | 2011-06-23 16:09 | 藤村コノヱが斬る
地味ではありますが、もっと参加してはいただけませんか

私たちのNPO環境文明21は、設立からちょうど18年経った。この18年の間、一貫して行なってきたことは、日本の社会を持続可能な社会に転換するため、調査に基づき、様々な政策提言をしてきたことである。比較的身近な話では、飲料自販機の適正管理や設置のモデル条例を提案したり、特に地球温暖化については、長年にわたってさまざまに提言活動をしてきた。また、日本の現在の憲法には、環境について全く触れられていないので、憲法を改正し環境原則を入れて欲しいと改正条文を提案し、永田町の議員たちにも働きかけてきた。最近では、環境教育推進法を議員立法で作ってもらい、さらにその議員立法を強化するための改正案も関係議員に働きかけて、改正案が議員立法として、この国会で成立した。(藤村コノヱ「環境教育推進法改正案が無事成立した」参照)

このような活動というのは、言うまでもなく極めて地味であり、血沸き肉躍る話とは言えない。しかし、私たちが18年、倦まず弛まずやってきたのは、現在、生きている人はもとよりだが、将来世代、つまり、今の子どもたちやまだ生まれていない子どもたちが生きる世界が少しでも安全で幸せであるよう、良い環境を残したいという強い思いからである。

この18年間、会員や会員以外の人に呼びかけて、シンポジウムやワークショップなど様々な会合を開いてきた。しかしながら、集まってくれる人はせいぜい数十人であって、数百人、数千人の規模には程遠い。あまりにも地味だ、やり方が下手だと言われればそれまでだが、その数十人の中ですら、多くは中高年である。若者が全くいないわけではないが、率からいうと甚だ低く、一割にも満たない現状だ。

将来世代にも良かれと思ってやっていることなのに、どうして若者をはじめ人々が振り向いてくれないのだろうか。これは私たちにとっていつも反省事項であり、不満でもある。例えば、サッカー、野球、ロックのコンサートなどのイベントに目を転じるとウィークデイ、ウィークエンド問わず、数千人、数万人のオーダーで、熱狂して集まっている。確かに、私たちのやっている地味な環境保全活動とサッカー、野球、ロックコンサートなど熱狂を伴うイベントと同列で比較すること自体がナンセンスであろうとは思うが、命の基盤である環境の破綻を避けるための行動にもっと多くの人々が参加してほしいと思わずにはいられないのだ。

70歳を超えた私の切なる希望は、スポーツイベントなどに集まる人たちのせめて5%~10%でもいいから、環境保全の方に力を出してもらえないだろうかということだ。私たちのやり方が悪いのであれば、面白くないのであれば、若手がもっと参加出来るようやり方を変えていただいて構わない。

10年後、20年後、地球の環境が酷いものになっていったときに、今の若手たちが中高年になっていて、地球温暖化などのインパクトがこんなひどいことになるのなら、何故、我々に早く教えてくれなかったのかと当時の大人を責めるかもしれない。私はこのようなことにならないよう、今、出来ることを不器用ながら精一杯しているつもりだ。
どうか、血沸き肉躍ることに燃えるエネルギーのほんのわずかでも、環境保全の戦列に加わっていただきたいと願う今日この頃である。
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by JAES21 | 2011-06-21 15:38 | 加藤三郎が斬る
環境教育推進法改正案が無事成立した。
当会がイニシアティブをとって平成15年に成立した法律だが、当初の法律はかなり骨抜きのモノだったことから、改正に向け再度要望を提出し成立を働きかけてきた。

改正案では、我々の提案のかなりの部分が反映されている。例えば、環境教育や環境保全活動の定義が拡大され、名称も「環境の保全のための意欲の増進及び環境教育の推進に関する法律」という長たらしいものから、「環境教育等による環境保全の取組の促進に関する法律」と変更された。

また、学校教育における環境科の導入の要望はかなわなかったが、それでも教職員の資質の向上のための措置を講ずると言った内容が盛り込まれている。

こうしたことに加え、我々が特に要望したことは、環境NPO等の環境保全活動を促進する仕組み、例えば、①政策形成・実施過程への参加の制度的保障のしくみ、②助成金拡大、③税の優遇措置等である。

改正された法律では、例えば、①に関しては、「多様な主体の意見を求め、これを十分考慮した上で政策形成を行う仕組みの整備及び活用を図るよう努める」となっている。

以前の法律にはまったく書かれていなかった内容が明記された点は、一歩前進であるが、「努める」といった段階で、今後さらに推し進めていく必要がある。また②や③についても、十分とは言い難い。

それでも、以前に比べれば、環境教育や環境保全活動を行う条件は、整備されてきている。後は、これをどううまく活用していくかだ。「法律は無縁のもの」などと言わず、賢く法律をつかっていくこと、それが持続可能な市民社会をつくる第一歩になると思う。(なお、当会会報7月号で詳細を述べる予定である)
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by JAES21 | 2011-06-08 14:20 | 藤村コノヱが斬る
「雨ニモマケズ」が投げかけた重い宿題

3.11の大震災のあと、宮沢賢治(1896~1933)の「雨ニモマケズ」の詩を想い起こし、この詩と今回の悲劇とを結び付け、所感や心境を語る人が新聞などメディアに何人も登場している。

今回の震災が、宮沢賢治の故郷を含む東北地方で発生したことも賢治を想い起こす一つの理由となったであろう。しかし、より本質的には、瓦礫の山になす術もなくたたずむ住民、悲しみに必死に耐えている被災者の群れ、逝ってしまった人に静かに花を手向ける人のたたずまいなどは、賢治が、「雨ニモマケズ」で表現した精神世界と重なるところがあったからかもしれない。

今では誠に有名なこの詩は、1933年に37歳で、ほとんど無名のうちに死んだ宮沢賢治が、死の2年前(今から80年前)、病床にて小さな手帳に鉛筆で書きとめたメモ、いわば彼の祈りを詩形に留めたものである。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋(いか)ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンヂャウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ



宮沢賢治没後の間もない頃から一貫して賢治を高く評価してきた哲学者の谷川徹三さんは、この詩を「賢者の文学」と評されたが、私にはこの詩の内容は賢治が今日の我々に突き付けた最も重い宿題―しかも80年経っても回答し得ない宿題―だと思える。私の疑問を率直に書けば、次のようなことである。

①「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダ」を持つこと、それはもとより結構なことだが、「慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル」のは、人の欲望を全て解き放ち、大いに怒り、抗議し、権利を主張すべき20世紀の精神に反しはしないか。
②「一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ」ていたのでは、栄養がゆきわたらず、たいした仕事も出来ないのではないか。栄養と美味があってこその人生ではないか。
③「アラユルコトヲ ジブンヲカンヂャウニ入レズニ」いたのでは、自分の権利は守れない。大いに自分のことを主張すべきではないか。
④「野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ」、仙人みたいな暮らしをしていたのでは、時代からとり残されてしまうのではないか。
⑤「東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ」というが、そう人のためばかりに動き回って自分を犠牲にしないで、福祉などの行政にまかせるべきではないか。
⑥「ケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロ」というが、何故つまらないのか、紛争があればその真相を究明し、決着をつけるべきではないのか。
⑦「ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」とあるが、でくのぼうなどと呼ばれたら名誉棄損で訴えるべきではないのか。そもそも、ほめられもしない人生が、どうして願い足り得るのか。

以上は、賢者ならぬ凡人である私がこの詩を大変好んできたにも関わらず、ずっと抱いてきた深い疑問である。このように書き並べてみると、この詩に託された賢治の祈りは、現在の我々の人権尊重や自己主張の生活信条や経済を動かす市場原理とは本質において沿わぬものであることに嫌でも気がつく。

このことは何を意味するのであろうか。宮沢賢治は20世紀の前半に生きたにも関わらず、その時代の精神や主張を理解し得ていなかったのであろうか。それとも彼が生きた時代精神が今にして思うと誤りが多く、21世紀の今日になっても賢治の高みにまで至っていないということなのであろうか。「雨ニモマケズ」の詩が、賢者の文学であるとすると、この詩に心から共鳴し得ない私たちとは一体何であろうか。欲張りで自己中心的なただの愚人の集まりなのか。それとも、それとも・・・?

この詩は、21世紀に生きる私たちの心と行動の指針になり得るのではと思うが、先ほど提示した諸疑問への明確な回答は出し得てない。この状態を突破しなければ21世紀の真のパラダイムを得られまい。3.11の悲劇が私たちにこのようなことを深く考える機会を与えてくれたと思いたい。
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by JAES21 | 2011-06-06 17:11 | 加藤三郎が斬る



環境文明21の共同代表「加藤三郎」「藤村コノヱ」の両名が、時事問題等を斬る
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